今回お伝えしたいなと思ってる内容が、またまたお仲間の方とすごいシンクロしたんです。
ビジネスパートナーである小野晄子(おのあきこ)さんに易で習ったばかりの雷火豊(らいかほう)にも関わるようなことで。
これだけ何回も何回もメッセージが来てるっていうことは、皆さんにお伝えするべきことなのかなって思って、今回のお話をお伝えします。
物事の本質を見る方法とは?
例えば、1つのものを思う時に「これだな」と思い浮かべるイメージや概念ってあると思うんです。
「私はこうこういう定義がある」とか。
例えば、生き方としてこういうものがいいと思ったら、「これだ!」って感じてしまったり、マストだってこう感じてしまうもの。
けれど、1つのものの定義を決める時に「本当にそうなのか」っていう仮説を立ててみてほしいんです。
固定された自分の目線1つだけで物事を見ると、一生を通して本当に1つの見方しかできないけれども、
仮説を立ててみることによって、本当に自分がこうだと思っていた物の本質を360°の角度から見ることができます。
それによって、自分が思っていたものに一層確信を持てたら最高だし、逆にいろんな景色があった、自分の思っていたものとは違ったということが分かったら、もっと自分の人生がふくよかになるじゃないですか。
なので、物の成り立ちだったり1つのことていうのを1つの味方で決めてしまうのではなくて、どちらもどんな角度も見れるよう
な生き方でものの本質を見てみませんかという提案です。
その寿司だけが本当に寿司なのか?
ここまで少し抽象的な話になってしまったので、具体的に例を上げて説明してみますね。
私は食いしん坊なので、食べ物の話にしますね。
お寿司って、意外と地方によって違いがあるんですよ。
関東の方は江戸前寿司が普通だと思うんですけど、本当に全国各地でスタイルが異なるんですね。
その土地土地によってもちろん握り方だったりお魚の種類や産地、締め方、酢飯の度合いやネタの大きさなんかも違うんです。
なので、例えばそうやってお寿司っていう定義があったりとか自分のね好物があったとしたら、それを絶対こうなんだって思うこと、
これが最高なんだと思うのはいいですけれも、それをいろんな角度から見るってとっても楽しいんですよね。
ダウンタウンの浜ちゃんが2つの地点を知って得た教訓とは
これは聞いた話なんですけれど、ダウンタウンの浜ちゃんが、同じような趣旨のことを仰っていたそうなんです。
芸人として一生懸命努力して、明日の食べるものも大変な時代もあったそうですが、
もうダウンタウンを知らない人がいないぐらいのブレイクを果たしたとき、底辺時代に「お寿司はこうなんだ」と思っていた定義がガラっと変わったんだそうです。世界が広がったんですね。
ものすごくわかりやすく、「回転寿司=お寿司」だという固定概念があったとしたら、1人前3万円とか5万円とかそういう定義の場所もあるわけなんですよね。
底辺の時代では絶対見えなかった世界ですよね。
回転寿司のことを「これがお寿司だ」と思ってて、自分はそれでおいしいと思っていて…、全然それはそれでいいんです。
だけど「お寿司ってそうだよ」って決めつけて、世間の人にも押し付けるのはちょっと違うし、自分の人生の中でも、それまでの自分の定義とはちょっと違う種類のものに出会うかもしれない。
いろんな土地のスタイルだったり、いろんな食べ方もあったりするし。
それこそ日本のお寿司のトップのすごい職人さんの技みたいなものを目で見て空間で感じて、最後は味わって…っていう。
全ての要素が入ったものの対価をお支払いするという場もあるんですよね。
それを浜ちゃんが知った時に、自分の後輩に
「まずはいろんなことを知ってほしいから、1つのことを定義づける時には、どちらも知れる人間になれ。それが全てを伝えられる人間になれる方法なんだよ」
っていうことを仰ったそうなんですよ。
私もその話を聞いた時に、同じようなことを学んでいました。
自分が「これが幸せな人生だ」と思えるってすごく幸せなことなんだけど、その幸せの定義に対してとことん仮説を立てて、いろんな幸せを味わっていいんじゃないかと思うんです。
「生きてるだけで幸せ、食べられるだけで幸せ」っていうところから、
伝統文化やマナー、こんなに美しい食べ物があるんだとか、そういう喜びを感じれる世界まで行って、
そしてそれを一緒に味わいたい人と味わうっていうとこまで行って初めて「ここに生きている」っていう実感が湧くと思うんです。
そして幸せの定義は最初に思った定義と全く同じで、でも次元の変わった、とても深くて濃い思いがそこにあるんじゃない
でしょうか。
どちらも味わうのがとっても大切だっていうことを師匠に教えてもらいました。
浜ちゃんの話であったりとか、本当にそんないろんなことがリンクして、こういったことをお伝えしました。
可能性は無限大というか、いろんな体験ができるから、それを狭い世界で終わらせてしまうのではなくて、視野を広げて広げて…っていう風にしていくことで、人間としての幅もうん人生の幅も広がっていきそうですね。
自分の可能性を閉じないで!!
それと、そこに対して「ここら辺でいいんだ」っていう自分の可能性を止めてしまわないでいいよっていうことも大切です。
「足るを知る」っていう言葉もありますし、「贅沢はしなくていい」とか、「そんなの望んだって…」と思うかもしれない。
でも、私たちは幸せになるために生きているし、そのために生まれてきたんですよ。本当にそのためだけに。
幸せになっていいんだって思いを感じるために生まれてきてるわけです。
命をかけて親が産んでくれて、ご先祖様があって、今の命がある。
今、その最先端にいる私たちの命に蓋をして可能性を止めて「私はこれが精一杯、これで私の世界はもういいんです。素晴らしいんです」って思うのもとってもいいんです。
けれど、せっかく頂いた命なんだから、どこまでも追求してどこまでも探求して幸せになることを諦めないで、もっともっと幸せになっていい。
幸せなんだけど、もっともっと幸せになっていい。溢れるほど幸せになっていいっていう風に私は心から思っています。
メンターの話だったり仲間と一緒に話したり、晄子さんに易で教えていただいた雷火豊(らいかほう)でそういったメッセージをいただいたりということが重なったので、今回はこのテーマでお伝えしました。
「雷火豊」に秘められたメッセージを人生に活かして幸せに
易のお話をちょっとだけさせていただきますと、雷火豊(らいかほう)っていうのは「豊か」っていう意味を持っています。
豊かになるための道、豊かさを維持するための道を説いた易です。
そこには、「満足したら終わりだよ」ということが書いてあるんですよね。
「もう自分は頂点を極めた」ということだったり、「もうこれでいいんだ」「この幸せを維持できればいい」という風に思った時点で落ちていってしまうていうことが書かれています。
毎日の中で感謝をする、「日々食事が取れてありがたいな、生活が幸せだな」っていう毎日の感謝っていうのは大事なんですけれども、そうではなくて自分の成長をやめないということが豊かさを維持するために大事なことなんですよね。
もう私は成長しなくていい、向上しなくていいという風に思った時点で下がってしまう、終わってしまうので。
毎日普通に暮らせていることや、生まれてきただけでありがたいということに感謝をしつつ、
でも成長し続けていく、周りも幸せにし続けていくというマインドを持っていきたいなっていう風に私も思っているんです。
毎日、前進して、いろんな蓄積のおかげで今の自分があるって思いながらも、それでも常に初心を忘れずに。
これからもいろんなことを教えていただきながら、一歩一歩また前に進んでいきたいと思っております。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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