今回は、レムリアに関して皆さんが疑問に思いそうなことや、いただいた質問に関するシェアをしていきます。
よく女神は祈っていて、みんなのために祈りを捧げてる踊り(舞)もあるし、いろんな形のセレモニーもあります。
いろんなところ、例えば水の中で祈ってるとか、いろいろあるんです。
レムリアを通して、祈りとは、願いとは、そしてそれを意図するというのはどういうことなのかっていうお話をさせていただきます。
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レムリアで言う「願い」とは
レムリアの中で「女神があなたの願いを意図して…」とかよく使われるんですよね。
願いって、例えて言うならば「願い事をしに神様のところに行って…」とか「神社参拝行って…」ということもよく聞いたりすると思います。
ただ、日本でいう神社で願いを伝えるというのは、「自分がこうなりたい」という意思表明のひとつなんです。
「こうありたい」という大きな決意表明みたいなもの。
そのための祈りであったり、そのための願いであったりというところの言葉で「願い」という風に使ったりするんです。
大いなるものに自分の気持ちを「こうなりたい」って言うのは、もちろん「願い」でもありますよね。
神社で言うのもレムリアで言うのも共通してるとは思うんですけれども、大いなるものに捧げるその「願い」というのは「私利私欲での願い」ではないんです。
「彼が欲しい」とか「◯◯があれば…」という自分だけの内側のものではない。
こういうことを自分がおこなったり、魂の伴侶と出会ったりすることで、たくさんの人に恩恵を与えられますように、豊かな人生が歩まれますように。
この「豊かな人生を歩み、歩まれますように」のような願いは、大いなる願いであり大いなる意図となるなんですよね。「志」というか。
なので、レムリアで言う「願い」とは、
「志という大いなるもののために自分を使ってください。
自分はこんな願いを叶えることができたら、もっと大いなる人に貢献することができるんです。
だから神様、こういう願い、こういう立場、こういうものを得られて、
たくさんの恩恵や愛を皆さんに伝えられる自分にさせてください」
という願いという意味なんですね。
それを意図して、地球とか宇宙に、自分の魂がどうしてもやりたいことを願う。
「このことがあるからこういうお仕事ができる」とか「家族をよくすることができる」ということで願って祈って意図しますっていう意味なんですね。
自分の欲求を願ったり祈ったりしたらダメなの?
ここまで読んで、
「大いなるものや神様に対して、自分の小さな欲求や願いを言ってはいけないのかな…?」
と迷ってしまう謙虚な方がいらっしゃるかもしれません。
けれど、あなたの魂の本当の本質を叶えることは、あなただけが得をするというようなことではないの。
魂からの願いを叶えることは 周りを幸せにすることにつながる、幸せになることなんです。
だから遠慮なく願っていいんだよってことをお伝えしたいんです。
迷うかもしれないけれど、今の心のベースありきで願いを伝えると、もうそれは全自分の宣言なんです。
神様はどんな人間が好きか
神社参拝の方法とか、こういう風に祈るといいですよということをお伝えすることがあるんですけれども、
例えば「恋人ができますように」とか「お金が入ってきますように」みたいな願いがダメっていうわけじゃないと思うんですよ。
でも、それだけだとちょっとちっちゃい感じがすると私は思っていて。
じゃあ、例えば仕事で成功したいんだったら「そういう器の自分に成長していけますように」とか、
そういう自分自身になることによって何を成し遂げたいのか、世のため人のために何ができるのか。
自分のちっちゃい欲じゃなくて、大きな欲というか。
「大きな社会のために貢献できる自分になりたいから、そのためにこういう自分なりたいんです」
みたいな大きいビジョンを持った上での願いって素晴らしいなって思うんですよね。
私はよく、「クレクレ君にならないようにね」ってことをお伝えしているんです。
クレクレ君とは、「これください、あれください、こうしてください、ああしてください」みたいな、欲しがるだけの状態。
それって、人間関係でも嫌じゃないですか。
神様との関係というか…、神様って大いなるものだったり、自分自身との会話だったり自分の奥深い潜在意識との対話だったりもすると思うんですけれども。
いずれにしろ、そういうクレクレ君って嫌じゃないですか。
そうじゃなくて、神社に行ったら「本当にここにご縁させてもらってありがとうございます」とか「来させていただいたことに感謝します」と感謝を捧げるだったり。
意図って、「宣言」ですよね。
宇宙への宣言、決意表明。大いなるものに対して「こうなっていきます、頑張ります!」という宣言。
頑張るから応援してくださいっていう。
そうしたら「この人頑張ってるから応援しよう」っていう風に、「上の人」も思ってくれるんじゃないですかね。
だから、「あれください、これください」ではなくて、感謝・決意表明して自分の成長を意図していくという心構えが大事なんじゃないかなと思っているんです。
レムリアでどれを対象に祈れば良いのか
そして、もう一つ大切なことがあります。
レムリアの中で願うとか祈る時に、「どの対象・相手に対して祈れば良いのかわからない」ということがあるかもしれません。
女神の世界で、女神が祈る時に何にしているかっていうところなんですけども。
自分自身が女神であるということを認識してきてる世界なので、女神=自分。
でも、大いなる女神とのつながりを持っているという意味です。
自分自身に祈ること、私はこうなりますっていう宣言のもとに目覚めさせる魂やハイヤーセルフは全てつながっています。
その統合した自分、大いなる魂や光の部分にしっかり意図して願ってください。
でも、それは全部宇宙につながっているので、「この人に祈る」とか「ハイヤーセルフ系」とか「女神だけ」って分類されるものではない。
自分は女神であり、もっともっと大いなる支えてくれてる女神(大いなる宇宙、成長している私たちのつながっているスピリット)を対象とするということなんです。
大いなるものに自分自身がなりたいという意志を込めて祈り、その意志を伝えていくっていう。
ポリシーは1つにして、シンプルに考えていいと思います。
自分自身が女神ということを腑に落とす
こんな風に思ったことはないでしょうか?
なんかすごい大きい存在の神様がいて、自分はちっちゃいちっちゃい人間。
神様が願い事を叶えてくれる、その神様が決めてくれている。
どうして神様は私にこんな辛い思いをさせるんですか?とか。
そういう、神様が自分の人生をコントロールしてるみたいな意識が、昔は私もあったんです。
けれど、そうじゃなくて、自分自身が神であり、創造主である女神である。
そこを本当に腑に落とした上で大いなるものと交流するという意識がすごく大事だと思っています。
日本の神社は、基本的に「鏡」です。
私たちが参拝に来たその正面に映った自分が天照であるということをお伝えしてくれています。
祈り・願い・意図についてまとめ
以上、今回は祈り・願い・意図の違いについてお伝えしました。
今後、神社へ参拝する際やレムリアの祈りをおこなう際の参考になったら幸いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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